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東京地方裁判所 昭和43年(ワ)11667号 判決

原告

小峰正與

被告

高橋義弥

ほか一名

主文

被告らは各自原告に対し八四万九六一三円およびこれに対する昭和四三年一一月二日から完済に至るまで年五分の割合による金銭を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを五分し、その二を原告の負担とし、その余を被告らの連帯負担とする。

この判決の第一項は仮りに執行することができる。

事実

一、当事者の求める裁判

原告―「被告らは各自原告に対し二一一万八一五八円(二一二万八一五八円とあるは違算と認める。)および内金一五八万一五八円(一五七万九一五八円とあるは違算と認める。)に対する昭和四三年一一月二日から、内金三五万円に対する昭和四四年四月一二日から各完済に至るまで年五分の割合による金銭を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決および仮執行の宣言。

被告ら―「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決。

二、原告主張の請求原因

(一)  傷害交通事故の発生

昭和四二年九月三〇日午後一〇時五分頃、東京都千代田区霞ケ関二丁目一番地先交差点附近において、原告が自動車(トヨペット品川五め四三五〇号、以下原告車という。)を運転中、進路前方の信号機が赤色信号を現示するので、これに従い横断歩道の手前に停止していたところ、被告菅原運転の自動車(ホンダ三六〇、練馬え三五四四号、以下被告車という。)に後方から追突され、よつて頸椎鞭打症の傷害を蒙つた。

(二)  被告菅原の過失と被告高橋の地位

右交通事故は、被告菅原が前方を注視せずかつ適切な車間距離を保たないで被告車を走行させた過失により発生させたものである。

被告高橋は被告車を保有し、平常これをその長男訴外高橋和夫に使用させ、もつて自己のため被告車を運行の用に供していたものであり、本件事故発生当日も、右和夫が被告菅原を同乗させて被告車を運転していたものであるが、同日午後一〇時頃に至り、一時被告菅原に運転させ、自己は被告車の助手席に同乗していたものである。

(三)  損害

(1)  原告の職業、受傷の部位・程度および加療の経過ならびに後遺症原告は訴外株式会社アド・クリエイテイブ・エイジエンシイ(以下訴外会社という。)に昭和四一年三月一日から自家用自動車運転手として勤務しているものであるが、前記傷害のため昭和四二年九月三〇日から同年一一月八日まで医療法人白仙会伴病院に入院加療し、その後昭和四三年六月三〇日まで二三九日間に前後七三回にわたり通院加療したものであるが、この間入院当日から昭和四三年二月二〇日まで患部固定のため、腰部・頸部にコルセットを装着せざるをえず、退院後も嘔気、眩暈、頸部痛、頭痛、視力減退、耳鳴等が持続した。

昭和四三年六月末頃に至り症状概ね固定したので治療を一応打ち切つたものの、現に頸部痛、肩こり等いわゆる鞭打ち症状が続くものであるが、昭和四三年四月三〇日前記伴病院において、労災障害等級一二級に該当する旨の診断をうけた。

右傷害により原告は、昭和四三年六月三〇日まで訴外会社に勤務できず、同年七月一日に至つて復職したものの、なお頸部痛、肩こり等が持続するため、運転業務をさしひかえる等労働条件を緩和してもらつていた。ところが同年秋頃、勤務先の仕事の関係上いわゆる超過勤務をしたところ、再び腰部、頸部に痛みを生じ、かつ頭重感、頭痛等を覚えるにいたつたので、しばしば運転業務を中止せざるをえなかつたし、また腰部にコルセットを装着せざるをえない状態にある。

(2)  逸失利益 合計九三万九一五八円(九四万九一五八円とあるは違算と認める。)

(イ) 欠勤中の残業手当分 六万一一八二円

原告は本件事故発生当時、訴外会社に勤務し、月間平均残業手当六七九八円をうけていた(昭和四一年九月一日から昭和四二年九月三〇日までの一三箇月間に一時間当り一二七円の割合による普通残業手当二二〇時間分と一時間当り一五三円の割合による深夜残業手当三九五時間分との合計八万八三七五円を得ていた。)ところ、本件受傷により、昭和四二年一〇月一日から昭和四三年六月三〇日までの間九箇月にわたり欠勤せざるをえず、この間の残業手当合計六万一一八二円を失つた。

(ロ) 昭和四三年夏期一時金 二万一五〇〇円

訴外会社では昭和四三年七月末日、同年夏期一時金として基本給の一・五箇月分を支給されたが、原告は欠勤のためこれを支給されなかつた。ところで当時原告の基本給は少くとも月額二万一〇〇〇円であつたから、その夏期一時金は三万一五〇〇円となる。

(ハ) 昇給差額分 八〇万七四七六円

原告は昭和一九年四月一二日生まれの健康な男子で、本件事故発生当時訴外会社に勤務し、月間三万四〇〇〇円の給与をえていたものであるが、同社には定年制の定めがなく通常労働可能な年令に達するまで勤務し得、普通級の勤務状態もしくは勤務成績であれば、毎年三月二六日から定期的に昇給するさだめであつて、昭和四三年四月分から月額五〇〇〇円の昇給をうけるべきところ、年令に対応する月額一〇〇〇円の昇給にとどまり、月給三万五〇〇〇円をうけうるにすぎなくなつた。よつて原告は昭和四三年三月二六日から概ね六〇才に達する昭和七九年三月二五日に至るまでの間、毎月四〇〇〇円の得べかりし利益を失つた筋合で、その総額は一七〇万八〇〇〇円になるべきところ、そのうち昭和四三年七月分までの分合計一万六〇〇〇円は支払期日が到達しているのでこれを控除した残一六九万二〇〇〇円につき、ホフマン式計算方法に従い、月毎に年五分の割合による中間利息を差し引き、昭和四三年七月二六日における現価を求めると七九万一四七六円となる。結局昇給差額に関する逸失利益は、一万六〇〇〇円と七九万一四七六円との合計八〇万七四七六円である。

(ニ) 昭和四三年六月分賃金 三万九〇〇〇円

(3)  慰謝料 合計九九万一〇〇〇円

(イ) 入院中の苦痛に対する分 一四万円(一日三五〇〇円の割合による四〇日分)

(ロ) 通院中の苦痛に対する分三五万一〇〇〇円(一日一五〇〇円の割合による二三四日分)

(ハ) 後遺症に対する分 五〇万円

前記のとおり原告は、通院期間終了後も後遺症を残しているものであるが、中学校卒業程度の学歴にすぎず、自動車運転手としての職能を活用してはじめて現在の収入を期待しうるものであつて、他に転職しうる可能性もないところ、前記後遺症により職業運転手としての適格性を失い、常時運転業務に従事しえるか否かについての見とおしも判然とせず、これによつても多大の精神的苦痛をうけるものである。よつて前記後遺症状による苦痛とこれが職業に及ぼす精神的苦痛とに対する慰謝料のうち、五〇万円を本訴において請求する。

(4)  弁護士費用 一八万八〇〇〇円

原告は本訴の提起と追行方とを弁護士久保田昭夫、同岡本教子に委任し、その着手金として三万円、報酬金として総合額の約一割にあたる一九万四〇〇〇円を支払う旨約したが、以上のうち被告らに負担させるべき部分は一八万八〇〇〇円を下らない。

(四)  よつて原告は、被告らに対し各自以上合計二一一万八一五八円(二一二万八一五八円とあるは違算と認める。)および内金一五八万一五八円(一五七万九一五八円とあるは違算と認める。前記(三)の(2)と(3)の合計から(3)の(ハ)のうち請求拡張分三五万円を控除した残)に対する本訴状送達の翌日である昭和四三年一一月二日から、内金三五万円((三)の(3)の(ハ)のうち請求拡張分)に対する本件口頭弁論終結の日の翌日から各完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金を支払うことを求める。

三、被告らの答弁および抗弁

(一)  原告主張の請求原因(一)(二)は認める。同(三)のうち、原告が訴外会社に昭和四一年三月一日から自家用自動車運転手として勤務していたこと、その主張の日数入院加療したことは認めるが、その余の事実は争う。原告は月間昇給差額四〇〇〇円の得べかりし利益を六〇才に達するまで失う筋合であると主張するが、昭和四三年一一月からその職能給につき月額二〇〇〇円の昇給をうけているところから、昇給差額自体、長期欠勤によるものか否か明らかではなく、また今後も随時昇給しうる可能性がないわけではないから、右主張は理由がない。また訴外会社において将来停年制が設けられる可能性がないともいえないし、また運転手としての稼働期間は、概ね五五才までとみるべきである。

(二)  被告らは訴外会社からの請求に応じ、本件事故発生前三箇月間の残業手当を含む月額平均給与を三万七一一三円とし、昭和四二年一〇月一日から昭和四三年五月三一日までの八箇月分二九万六九〇四円と昭和四二年暮の賞与差額分一万一四〇〇円との合計三〇万八三〇四円を支払つた。すなわち原告主張の欠勤務中の残業手当分六万六二七六円は支払ずみである。

四、右に対する原告の答弁

(一)  訴外会社では、昭和四三年四月頃賃金体系が大幅に改訂されたため、従前のそれとの比較が必ずしも一見しては明確ではないが、原告と同年配の同僚の賃金昇給実績と最近における顕著な物価騰貴、賃金水準自体の上昇を併考すると、原告が本件事故に遭遇しなければ、月額五〇〇〇円程度の昇給を得たことは明らかである。なお昭和四三年一一月原告の職能給が月額二〇〇〇円上昇したが、これはいわゆる全社的ベースアップによるものである。

(二)  原告が被告らから欠勤中の残業手当分合評六万六二七六円を受領したことは認める。

五、証拠〔略〕

理由

一、責任原因

原告主張の請求原因(一)(二)は当事者間に争がない。この事実によれば原告の蒙つた後記損害につき、被告菅原は民法七〇九条所定の直接の不法行為者として、被告高橋は自賠法三条所定の運行供用者として、各自その賠償責任を負担する筋合である。

二、損害

(一)  原告の職業、受傷の部位・程度および加療の経過ならびに後遺症

原告が昭和四一年三月一日から訴外会社に自家用自動車運転手として勤務しているものであつて、本件受傷加療のため昭和四二年九月三〇日から同年一一月八日まで入院したことは当事者間に争がない。この事実に〔証拠略〕を総合すると、原告は昭和一九年四月一二日生まれの男子で、中学校卒業後、通称フジフイルムに倉庫係兼運転助手として勤務し、昭和三九年五月頃普通免許を取得してからは、同社宣伝課に運転手として稼働していたが、その後同社を辞め、一年間位いわゆるアルバイトで運転の仕事をしたのち、昭和四一年三月一日訴外会社に勤めはじめ、その頃残業手当を含め月間二万七〇〇〇円程度を得ていたこと、その後次第に昇給し、本件事故発生当時には、残業手当を除き月給三万四〇〇〇円程度を得ていた健康な男子であつたこと、事故発生現場は下り勾配をなしていたところから、追突により俯伏せになつたまま、左右に蛇行しながら滑走したこと、原告は事故発生当日、東京都新宿区内の医療法人白仙会伴病院を訪れたところ、頸部痛が激しく、嘔気も出現するところから、直ちに入院することとなり、同日から昭和四二年一一月八日まで四〇日間にわたつて同院で入院加療したこと、その症状は、右前腕部にしびれ感を覚え、、嘔気、嘔吐、眩暈感のほか頸部痛、頭痛を訴えるいわゆるバレー・ルー症状が著明で、概ね絶対安静を要したため、附添看護を付し、頸部と腰部とをコルセットで固定し続けたこと、同院において頸椎および腰椎につきレ線検査をおこなつたが、格別異常はみられなかつたこと、同年一一月上旬頃に至つて症状やや軽快に転じたので、通院加療することにしたものであるが、頸部痛および腰痛は玩固に持続し、肩こり、嘔気、頭痛等も間けつ的に出現したこと、同年一一月九日から昭和四三年六月三〇日までの間延治療実日数七三日に及び、通院加療しない日には、自宅で療養していたもので、この間訴外会社を欠勤せざるをえなかつたこと、なおコルセットは退院後も昭和四三年二月二〇日頃まで装着していたものであり、前記伴病院の指示により通称東京脳波センターでうけた脳波検査では、軽度ながら異常所見がみとめられたこと、同年七月一日から訴外会社に復職したが、病後でもあり、なお頸部痛等が遺つており、また腰部に装着したコルセットのため運動制限を余儀なくされるので、訴外会社から就労量を縮減してもらつたものの、長時間運転すると腰がしびれ、頭重感も覚えるので、運行中途で運転を中絶して降車することもあつたこと、同年一二月から昭和四四年一月にかけての訴外会社の業務繁忙期には、原告もまた苛酷な日程で就労を余儀なくされたため、極度に疲労し、腰部のしびれ感、肩こり、頸部痛、頭重感のほか嘔気、めまいまで再発するに至つたこともあつたが、本件口頭弁論終結当時には、これらの症状は概ね消去し、時折頸部痛を覚えることと腰部に軽度の運動制限を残す程度に軽快したので、自動車運転というその職種上、就労につき多少の制約があるものの、本件事故発生前に比しいわゆる超過勤務をやや減量しているにすぎない程度までに本復したものであつて、その後遺症の程度は、局部に神経症状をとどめるにすぎないものと推認される。この認定を左右するにたりる証拠はない。

(二)  逸失利益

(1)  欠勤中の残業手当 三一一三円

弁論の全趣旨によれば、訴外会社における原告の給与体系は、本来的もしくは基本的な月例給与のほか、いわゆる超過勤務手当をも支給されていたところ、原告は本件受傷により昭和四二年一〇月一日から昭和四三年六月三〇日まで月額七三六四円の割合による九箇月分の超過勤務手当合計六万六二七六円の得べかりし利益を失つたものとしてこれを訴求し、のちに違算を事由に請求額を六万一一八二円に訂正減縮したものであるが、被告らにおいて、昭和四二年一〇月一日から昭和四三年五月三一日までの八箇月分については休業補償として残業手当を含め月額三万七一一三円の割合による合計二九万六九〇四円を支払ずみである旨主張するや、原告は、「欠勤中の残業手当分六万六二七六円を自己において受領したことを認める」と卒然答弁するに至つたことは記録上明らかである。右原告の自白内容は、一見すると、その超過勤務手当として本訴で訴求する全額に関する如くであるが、審理の経過に徴すると、被告らのなした損害填補の抗弁に対する答弁であることが明らかであつて、その主旨は、昭和四三年五月三一日までの間超過勤務手当については、既に受領ずみである旨と解するのが合理的である。そして〔証拠略〕を総合すると、原告は本件交通事故発生前直近の三箇月間に超過勤務手当合計九三三八円を得ていたことが認められるから、本件交通事故に遭遇しなければ、原告は昭和四三年六月中に、訴外会社で超過勤務をなし、その手当として三一一三円程度を支給されたものと推認される。この認定に反する証人丸山直衛の証言とこれによりその成立を認めうる甲第五号証の記載は、弁論の全趣旨に照らしてたやすく措信し難い(訴外会社作成文書の信用性について後記するところを参照)。

(2)  昭和四三年夏期一時金 三万一五〇〇円

〔証拠略〕によれば、訴外会社では、昭和四三年七月末日夏期一時金として基本給の一・五箇月を支給されたが、原告は本件受傷による夏期欠勤のためこれを支給されなかつたこと、当時原告の基本給は、少くとも月間二万一〇〇〇円であつたことが認められるから、結局原告は本件受傷により、同年夏期一時金三万一〇〇〇円の得べかりし収入を失い、同額の損害を蒙つたことは明らかである。

(3)  昇給差額分

右については、これを明確に肯認しうるにたりる証拠がない。(この点に関する証拠判断および当裁判所の心証形成の経緯を略示すると次のとおりである。(イ)〔証拠略〕によれば、訴外会社は昭和二七、八年頃広告製作の代理業務等を主たる目的とし大阪において設立され、昭和四二年秋頃には従業員約五〇名を擁していたが、その後企業規模を縮少し、昭和四四年三月頃には従業員数約二五名にすぎず、従業員中の最年長者の年令も四一才であつて、資本金約一五〇〇万円の独立企業であるが、いわゆる企業上の系列関係もなく、通観するとその社礎は必ずしも強固ではなく、たやすく景気の変動を蒙り、業績も不安定な小企業に属するところ、その昇給制度は、概ね毎年四月に行われる定期昇給のほか特別昇給の途も設けられていたものの、昭和四三年四月頃給与体系の抜本的変革がなされ、その際定期昇給をも併考して新給与体系への切り換えがなされたこと、給与決定は会長、社長および総務部長らがなすもので、新旧両体系を通じて年令、学歴等を比較的重要な評定要素とするものの如くであるが、例えば新給与体系表とされる甲第三号証の三には掲記されていない給与項目を現実には支給しているようであり、その名称も「調整」、「特殊手当」、または「運転手手当」(〔証拠略〕)等、さまざまに称し、また該項目と技術給、職能給等他の給与項目との関係もあいまいであり、また右新給与体系制定時期には、原告のほか一名の運転手が中学卒の学歴であつたのに、学歴による等級づけの最下級位を高校卒としている等給与の支給基準としては明確性に欠けるものを新給与体系とし、また旧体系から新体系への切り換えに関する準則も判然とせず、さらに顧客筋からの紹介入社者等に対しては、給与規定に特例をもうけ、その年令、学歴に対比すると著しい高給を支給して優遇している例も少くない等給与体系の基準性が厳密には保持されていないことが認められる。なお〔証拠略〕によれば、被告らと訴外会社との間で、原告の欠勤中の期間の休業補償につき交渉がなされた末、昭和四三年五月末日までの期間につき、超過勤務手当を控除した本給を概ね月額三万四〇〇〇円とする旨の合意が成立したことが明らかであるから、仮りに訴外会社に早期補償を希望する事情があつたとしても新給与体系への切り換えを被告ら側に説得せしめえなかつたか、もしくは月額三万九〇〇〇円とする原告の主張が確実な蓋然性を有さなかつたか、いずれかの事情が介在したものと推認すべく、このことは甲第三号証の一の信用性を滅殺する一徴表事実と解するほかはない。(ロ)仮りに原告において本件受傷による長期欠勤をせず、従つて昭和四三年四月以降は月額三万五〇〇〇円を超える額の昇給(以下差額という。)をうけ得た筈であるとしても、弁論の全趣旨によれば、原告は昭和四三年四月以降は、従前の給与に比し既ね一〇〇〇円昇給して月額三万五〇〇〇円程度の月給を得ていたが、同年一一月からは二〇〇〇円昇給し、月額三万七〇〇〇円を得ていたことが明らかであるから、この事実に前記訴外会社の給与体系の特殊性を併考すると、原告が今後早晩さらに昇給して結局差額を回復しつくす事態に至る蓋然性も否定し去ることができないので、右差額が全稼働期間にわたつて回復しえないものとはいえない筋合である。そしてこの点に関し、右二〇〇〇円の昇給がいわゆる全社的ベースアツプであつたとしても、これにより少くとも差額の一部がうずめられ、逸失利益上の損害もそれだけ填補されたものと解すべきことはいうまでもない。蓋し、全社的ベースアツプの場合を除外する見解に従うときは、将来全社的ベースダウンの事態が生じた場合には、公平上不当利得返還等の問題を検討する必要に迫られるべく、かくては人身損害をめぐる賠償額算定の法理はきわめて不安定なものとなるべく、右見解は採るい得ない。なお全稼働期間中昇給差額分の損害を蒙るとの立論は、当然に該期間中訴外会社が存続し得、かつ、原告がこれに継続勤務することを前提とするが、前示のとおり、訴外会社の社礎が必ずしも強固ではなく、業績も不安定であるから、同社が将来長期間にわたつて従業員に対し継続的に昇給を実施しうるものと推認することができないので、右前提自体きわめて不確定な事柄であるといわざるを得ない。(ハ)なお甲第六号証について附言するに、同号証に記載された猪狩ら三名はいずれも製作部門担当者で、なかには大学卒の学歴者も含まれていることは明らかであつて、原告との共通点はほぼ同年令者であるとの一事にとどまるところ、前示のとおり訴外会社の給与体系では、年令のほか学歴も重要判定要素であり、また製作部門と原告らの分担する運転等の部門では、給与体系上系列を異にするものとして扱われていたことが推認されるから、右三名に対する給与状況をもつて、直ちに原告の昇給額を推定することは適切ではない。結局関係証拠を総合すると、原告が本件受傷のため長期欠勤を余儀なくされた結果、昭和四三年四月に行われた旧新給与体系の切り換えと定期昇給とに際し、財産上の不利益を蒙つたこと、その不利益は幾何かの期間持続する質のものであることは推知するに難くはないが、その数額、期間を確定するに足りる証拠がないといわざるをえないので、不利益を蒙つたことは後記慰藉料の算定にあたつて考慮することとする。

(4)  昭和四三年六月分賃金 三万五〇〇〇円

(三)  慰藉料

叙上のとおり、原告が本件受傷により長期間にわたり訴外会社を欠勤して、入・通院加療を余儀なくされたばかりか、復職後も就労上の制約をうけ、なお軽度ながら後遺症を留めるに至つたもので、現在の職種に及ぼす後遺症の影響はかなり重大であるといわなければならず、欠勤による不利益がかなりの期間持続することをも考慮すると、原告の蒙つた精神的苦痛は多大であると推認されるから、これが慰藉料としては七〇万円が相当である。

(四)  弁護士費用

〔証拠略〕によると、原告は本訴の提起と追行方とを弁護士久保田昭夫、同岡本敦子に委任し、その着手金を三万円とし、成功報酬を認容額の一割とし、後日支払う旨約したことが認められるところ、本件事案の難易、審理の経過、叙上認容額等諸般の事実を併考し、そのうち本件事故と相当因果関係にたつ損害は八万円であると解する。

三、よつて被告らは各自原告に対し以上合計八四万九六一三円およびこれに対する訴状送達の翌日である昭和四三年一一月二日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払義務があるから、原告の本訴請求は右限度で正当として認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法九二条、八九条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 薦田茂正)

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